TVで宇多田ヒカルを観て…今日は短歌はお休み
宇多田ヒカルが出てきたとき、
歌詞と曲と声、それぞれが凄いと思った。
でも全部が合わさったのを聴くと、
なんだか私にはしっくりこなくて、
流れてくるのは聞くけれど、
自分から聴くことはしなかった。
あれから10何年も経って、
なんだかそのしっくりこない感じにも慣れてしまい、それが宇多田ヒカルなんだと思うようにはなった。
そうしたら、最近同じ感覚がやってきた。
「君の名は。」の曲。
歌詞の単語ひとつひとつと、音階の上がり下がりと、音の切れ間。
あ、これはまた私の感覚にしっくりこない……。
わかっているのは、自分が歌をうたうときには、いくら苦しくても単語の途中で息継ぎをしないから、単語を途中でぷつぷつ切るようなメロディーは気になる。
あと、宇多田ヒカルについていえば、ブレスや吐息が聴こえるような声。
私は子どもの頃から、息継ぎが聴こえる歌い方はしたらダメだと思い込んでいる。そんなことを教えた音楽教師がいたのかどうかは覚えていないけど。
だだこれについては、ブレスや吐息が聴こえるのが魅力的な人がいることは理解している。
なんだろう。昔どこかで話したことのある『日本に縦書きを残す会』みたいな、個人的なこだわり。
別に音楽評論家気取りのことを言いたいわけでもないし、私にあなたの歌を聴かせてくれという人もいないのだけど、だれか私の気持ちがわかってくれる人がいないかなあ。
追記
「君の名は。」の曲は、前前前世じゃなくて、声を演じた女の子も歌っているほう。
ときをかけあがるクライマー…
あれと、原田知世の
時をかける少女…
のメロディーを比べてみたら、音の上がり下がりの
しっくり来ない感じがわかるかなと思う。
いくら早くても、単語を区切らず歌うと
ポルノグラフィティとかは、拷問に近いのだけど…それは歌えたりするってことは、単に好みの問題かな、やっぱり😅。